kutuwada’s diary

日々のささやかな出来事を書いています

崖にへばり付いているかのような「崖観音」

境内の船形山の中腹にまるでへばりつくように浮かぶ朱塗りの観音堂は「崖の観音」と呼ばれています。駐車場は2箇所。その内、一ヵ所は大型バスも駐車できる駐車場になる。この駐車場にはトイレも併設されているのでここに車を駐車するのがいいのかもしれない。駐車場に車を停めて頭上を見上げると船形山の崖にへばり付いているような観音堂が目に飛び込んでくる。

駐車場には、このように、参道入口へと続く案内板が設置されていた

道幅の狭い道を進んで行く。左側の注意書にもあるが、車の通り抜けは難しそうだ

ゆるやかな坂を進んで行く。この先には、もう一ヵ所の駐車場がありました

 

ここが大福寺の本堂となり、右手の大きな木は、ソテツというの木のようだ

本堂の横には、延命地蔵尊が建っている

観音堂に向かう石段の横には、このように崖観音(大福寺)の縁起が書かれてあった

それによると・・

崖観音で知られるこの寺は、普門院 船形山 大福寺と称し、真言宗智山派に属する寺院です。境内の船形山の中腹に浮かぶ朱塗りの観音堂は「崖の観音」と呼ばれ、地元民や近隣の人たちから信心され参拝されています。この観音堂の本尊は、十一面観世音菩薩で船形山の崖の中腹にある祠に刻まれています。
この本尊は、養老元年(717年)に行基(668~749年)が東国行脚の折に神人の霊を受け、地元漁民の海上安全と豊漁を祈願して、山の岩肌の自然石に十一面観世音菩薩を彫刻したと言われています。その後、慈覚大師(794~863年)が当地に来錫した折に堂宇が創建されたと言われています。江戸時代になり承応2年(1653年)2月に観音堂が火災にあい、朱印・什宝・伝記等すべて失いました。正徳5年(1715年)には観音堂が再建され、朱印も復旧されましたが、明治43年の大豪雨により土砂崩れにあい本堂・庭園とも倒壊してしまいました。さらに大正12年の大震災で観音堂、本堂が倒壊し、御堂は大正14年に、本堂は昭和元年建てられ現在に至っています。

空を見上げると、とんびかな?

「木喰の碑」あとはすいません!読めません

ここにライトでも付けてライトアップするのでしょうか?

朱色の橋を渡り、

石段を上る。左側の木も、ソテツの木なのだろうか

途中、立ち入り禁止になっている岩屋もあるが、中を遠くからん覗いても何もなさそうでした

観音堂が近づくにつれて、階段の傾斜が厳しくなっていく

まもなく、崖観音堂

石柱には、成田山と刻まれている・・・何か関係でもあるのか私には分からない

観音堂の下にあるお堂

このお堂の後ろも崖だった

観音堂への最後の登り

まもなく観音堂に到着

観音堂の中は、見学が自由なので靴を脱いで見学できます。その前に

この観音堂からは、鏡が浦(館山港)が望むことが出来ます

 

それでは、お堂の中を拝観させて頂きましょう

 弘法大師像                興教大師像   


正面には、この観音堂の本尊である、十一面観世音菩薩で船形山の崖の中腹にある祠に刻まれています。

さらに、欄間には十二支・・・残念ながら11支までしか見つけることが出来ませんでした。



今日はこの辺で

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